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![]() 冷蔵庫の無い我が家では 長期保存可能食品は非常に得がたいものであり 一番珍重されているのは にんにくのしょうゆ漬けである にんにくを大量に剥いて瓶にいれ 全体がかぶるくらいの醤油を入れて置く にんにくが必要な時はにんにくを取り出して使い、 にんにく醤油が使いたいときは醤油を使い、 醤油が減ったら醤油を足し にんにくがへったらにんにくを足し そうして実に数年もののにんにく醤油が いつの間にかできていったりするわけだが 醤油を足すのはいつも非常に簡単ながら にんにくを足すのはいつも非常に面倒なことこの上ない 袋入りのでっかいのをかってきて 床に新聞紙を広げて座り込んで にんにくの皮まみれになりながら せっせと剥き続ける 剥いても、剥いて、にんにく にんにくの汁って、 もの凄く大量に触れるとぴりぴり肌に染みるんだよね 「指が痛い、にんにく痛が!にんにく痛が!」 さほど楽しい作業でもないので、 景気付けにわめきつつ剥き続ける そうやって真っ白な肌のつやつやにんにくを 全て無事に広口瓶に沈める どういうわけだか必ずお決まりで毎回ちょっとだかあまる 瓶に入りきらなかった数欠けのにんにくを すりおろして別の容器でマヨネーズと混ぜておく これをパンに塗ってトーストして食べるわけだ もの凄く臭くてうまいお手軽ガーリックトーストになる 大量にガーリックトーストを食べつつ にんにく痛は翌日まで消えなかった また運転の練習をしている 練習はしても、結局は車を持っていないので再びペーパーに舞い戻ること幾たび 私がどれくらい運転に向いていないかに気づいてしまった人たちに止められたり だいたいが自動車学校の教官からして 「免許はやるから車には乗るな」と言った いわくつきの無事故無違反無使用のゴールド免許をわたしは持っているわけだ それがどうとも ぜひ車の運転に慣れるなら今だ、という気が突如し始め どれだけ止められても またもう一回乗り始めているわけで あのね、面白いもんで 「周りから何かが出てくるからも知れないから注意して発進しよう」 という発想ができないのだね 何かが出てくるかもしれない、と思うと怖くて永久に発進できないし 発進するときは、何も出てこないもんだ、と決め付けてるので結果、周りを全く見ていない なんだっていっぺんに2つのところに注意が行かないもんだろうなあ、 と思うと感心するんだが とにかくそれでも乗ってるわけだ 昔、河合隼雄さんが著作の中で 不登校の子供が学校へ行き始めるときに 自転車を買って欲しい、と言い出す子どもが多いのだ、 と書いていた 家族から、母親から、離れて遠くへく、という ひとつの自立宣言の形なのだそうで ずっとずっと 自分は運転には向かないんだから無理に乗らなくてもいいと思っていた車に 最近はぜひとも乗ろうとしている自分も きっともっと遠くへいくための力が欲しいのだよなあと思う 「私」と「車」ほど距離の遠いものも無い、と思っていたのが 通りでミニクーパーを見つけると 「あれ、いいなあ」といったりする 人が生きるために必要なものって 本当に変わるんだなあ、と思ったことだ ミーハーといわれても ミニは良い
![]() そのブタを ホームセンターから我が家まで連れて帰ってくるのには 殆ど何の疑問も持たなかった 線香ブタはある日突然我が家にやってきたのである 第一には去年の夏にだいぶん蚊に困らされたし 第二には蚊取り線香に付属の線香たてはちょっと安定が悪いような気がするし 第三にはそのブタとは、なんと言ってもエレガントだと思ったのだ 諸々の事情が重なり、彼は誰に疑問を持たれるでもなく我が家にやってきた 線香ブタはしかし、 我が家に不思議な悩みを連れてきた 「どうやって蚊取り線香を入れるんだろう?」という 殆ど存在意義そのものに関わる、それは大きな問いで どういうわけだか私は ブタの内部からぶら下げて使うものだと信じて疑わなかったのだけど そうしてブタの中でうずまき型の線香がゆらゆらする光景を とても楽しみにしていたのだけど いざぶら下げてみようとすると ブタの胴回りと蚊取り線香の直径はほぼ同じくらいで とてもぶら下げるスペースは確保できないのだ では、置くのか? ブタ内部に蚊取り線香に付属の線香立てを設置して平たく置いて焚くのだろうか だがしかし平たく奥にしても奥行きはやはりギリギリで おまけに平らな面がまったくないので座りのわるいこと甚だしい どこかしらの燃焼部がブタ内部に触れて立ち消えしてしまうし ブタにはうっすら焦げあとがついてしまう 線香ブタ なぜ君はブタなのか そしてなぜ君は蚊取り線香が収まらないのか 問いは深まるばかり そしてまたある別の夏の日に クワガタ虫が引っ越してくるという事件により 虫除け線香をたくことができなくなった我が家において 線香ブタはいつもただ静かに存在に関わる大きな問いを投げかける なぜ君はブタなのか そしてなぜ君は蚊取り線香が収まらないのか ![]() 川湯、という大好きな温泉地で ささやかなお祭りが開催されており、 アイヌ舞踊が見られる、というので行ってみた 「私たちの踊りは華やかなものではありません」というふうに 初めに言って踊り始めたその言葉の通りに それは非常に淡々として、そして単純な繰り返しの連続で 土を見つめるように、うつむくようにして 踊る姿がとっても印象的だった うっそうと木が茂るので空が狭くなって暗く見えるところで 単調な繰り返しのように聞こえる 笹の音とか木の葉の音とか そういうものを絶え間なく耳にしながら暮らし そうして自然の一部として 「華やかではない踊り」を自然に溶け込ませるようにして きっとそうやって踊るものだったんじゃないかしら 淡々として、力強い 木や草やその中深くで暮らしていく生活を あまりにもはっきりと想像させるものなので じっと立ち尽くしてみてしまった よく響くけど決して甲高くない歌は 歌というよりお経のようであるようにも聞こえて いつまでも耳に残る ムックリというこれ以上にないほどシンプルな作りの 竹製の口琴も、はじめて生で聞くものだった ビヨンビヨン、というなんだか不思議な音色はよくアイヌコタンの おみやげ物やさんの店先で聞くのだけど 目の前でアイヌ装束に身を包んだ人が鳴らすのを見たのは初めてで それはもう、感動するのだ 何に感動するのか、というのは良く分からないんだけど 音だけ聞いて感動しないのに どうして目の前で見ると感動するのかというのは たぶん、これも生活するための何かだったから感動するんじゃないかなあ 音が揺れながら夜空の方にのぼっていって消えていく 消えた先で、また誰かが聞いているようだ ムックリ、400円 使い方を教えてあげますよ、 というので子供の輪に混じって教えてもらった 輪になっている方の糸を小指に引っ掛けて左手でしっかり持ち 右手でもう一方の糸を強くはじいて竹をしならせてビューンという音をだす それを口に持ってきて口腔の広げ具合で共鳴させるのだ これが、最初はなかなかならない 「うん?・・・うん?・・・え?」 ムックリを握り締めて固まっていると 「どれ、教えてやる」と アイヌ装束のお姉さん、子供たちそっちのけで私の専属講師 「もっと垂直に引っ張ってごらん」 「・・・・・垂直ってどっちだけ?」 「・・・」 「・・・」 習う事10分くらいで、それでも一応音は出るのだ ビュン 「あ、なった」 「鳴りましたあ」 と喜んで講習終了 やりすぎると手が痛くなるから気をつけて、といわれて 喜んでビヨンビヨン鳴らしながら 夜道を歩いてアイヌコタンの通りを抜けていく 一応、やればやるほどすぐにうまくなるのだが 音の深みはやっぱりさすがに違うのだ どうしてあれほど力強く、そして色々な音が出るのか、 というのはわからないながら 音が出さえすれば楽しい 翌日は手も口もひりひりしました、 というオチ ![]() 夜道を散歩すると 外灯の下を決まって歩いているのが ミヤマグワガタ 身体が緑がかっていて 頭頂部が平らになっているのが特徴 ・・・ということを私が知っていたわけではなくて 「おっ、ミヤマクワガタだ」 と嬉しそうに手にとる同居人の知識なんであり 関東の少年には、憧れのクワガタだったそうで 憧れのクワガタってのはどういうことかというと 「メスのクワガタ三匹と、これと交換して~」 というような友人たちのおねだりの対象であるらしい ほお 「マッチ箱と牛乳のフタで荷車作ってカブト虫の角にひっかけて 引かせたりしたなあ~」 ほおお 「いつもおがくずの中に入って動かないからほじくりだしてつついて遊ぶんだよ」 ほほお ほお、面白そうですな そういう子供時代をすごしたことのない私には まったく未知との遭遇 ミヤマクワガタを連れて帰ってくる 虫かごにおがくずをしき、 木の枝で適当にジャングルジムを作りブランコを作り クワガタハウスを作成 数日で五匹にも増えてしまったオスメスのミヤマクワガタたちは あちこちに登ったり落ちたりひっくり返ったりしている 「えー、可愛いかも、いや、でも怖いかも」 って、あんまり虫を見て育ってないもんだから 足が六本あって全部がバラバラに動く光景というのはちょっと怖い スイカの皮をやる 本気で喧嘩してたら仲裁してやる 身体が砂糖水まみれになってたら行水させてやる ブランコにぶら下がってたらほめてやる あらたな楽しさに目覚めてくる私 「いやあ、構ってると結構可愛いよね、ちょっと怖いけど」 「だいたい九月くらいになると全部動かなくなるんだよな」 「・・・・えっ、死んじゃうの!!!」 確実に愛情が育っていたことを確信した瞬間。
結構根性の要る新しいサイトを立ち上げるのに
目一杯エネルギー注いでまして、ああ、気づけばかなり疎遠ですね、ここ。 あたらしいことに夢中になってたのがひとつと、 あと、なんでしょうか この場がそもそもひたすら報われない恋の看病に自己陶酔する、 ということのための(結構恥ずかしい)機能を果たしていたので なんか、「恋を治す薬」が効いてきてそういう思いが死ぬにつれて そこいらへんのボキャブラリーもめっきり弱ってきたかもしれません。 ここに来るのが微妙につらくて意図的に見ないようにしてました。 どんだけの思い出でも 人間、一生同じ思いだけ背負っていきていくわけじゃないもんだな、と そういうことをやっと知る、そんな私も今年で三十路、うふ。 新しいサイトで何をしてるかというと 昔自分でやってた摂食障害とか、その辺を取り上げて、 この私としたことが、何か人の役にたちたい、みたいなことを 意外と本気で思ってたりします、こわいこわい 摂食障害に興味がある方はネット検索とかしてると 意外と見慣れた文章に遭遇するかもしれません すいません、私です(笑) 閉じたつもりはなくてですね、 いつかまた書きたくなるだろう、と思って待ってるんですよね。 ひゅるひゅるひゅる、と書く動機がいなくなってしまったので 言葉って生き物だなあ、って本当思ったんですけど。 昔、林真理子さんが「私の贅肉はひたすらもてないことに対する怨念だ」 って書いてましたけど 私がここで多弁だったのも、ひたすら思いが報われないことへの怨念だったわけなんかな、 とか、おもったりして。 微妙に寂しがっております、私。 寂しさも忘れかけてきたらまた帰ってきて鳥の絵かきだすんじゃないか、と思うんですけどねえ。 更新されてないのに来てくださった方すいません。 うん、たまに書きますね。
人生を変えるというのはどういうイメージかと言えば
ドラクロワ風に片肌脱いだ女神が 半身振り向きながら自由の御旗を掲げ 兵士たちが群がるようにその豊かなシルエットに追いついていくという 光と影の荘厳たるドラマ などではなく いつも付き合いで一緒についていた食卓を 今日はいらないからと断って 自室でひとりチョコパイを食べてコーヒーを飲みながら 望まない団欒をでっちあげなくて良いというのは いかにも楽なものだと感じたり 断る権利があるなんて考えたこともなかった 連れ立って銭湯へ行く習慣をやめて 自分ひとりのためにお湯をわかしてゆっくり入って さて後は一人でいるためにどんな楽しいことができるかしらと 首をひねりながら雑誌の数ページをめくってみたり つまりそういう日常の中にこそ 自由の御旗が突き刺さってたりするわけで 自分がどれほどのことをあらかじめ諦めてたかに気づくのだ 「どうして一緒に食べないの」 「どうして一緒に行かないの」 と怖い顔して言われると 理由も分からず突然怒られていた子供のころを思い出し どうにも自分を守りきれない思いがして 「ごめんなさい」と言いたくて仕方なくなるのではあるけれど 自分が一人で居たいのだと望む権利すらないと 本気で心から信じているというわけでもないのだ 「そうしたいだけ」 「一人で居たいの」 と言うことは、とりわけ私には難しい試練だ 人生を変えるきっかけというのは ドラマチックなドラクロワの女神が持っているわけではなく いつもの習慣の中にも自分の選択の入る余地はあるはずだと 信じる勇気の中に入ってる 例えば同居人は、自分以外の人間には人格などあるはずがないと考える 支配的なタイプの人間であるかもしれず、 かつそれが自分の子供の頃の家庭の様子を思い起こして 無力感をぞろぞろ引き連れてきてしまう ということだってもちろんあるだろうが だからといってこれから先未来永劫支配的な人格の誰彼に 自分の人生を譲り続けなければならないという結論にまではなるまい 恋を治す薬 かつて私は「その人」の近くを離れさえすれば 真剣に人生に取り組む気になろうと考えてことを起したものだが 現在私は「その人」の近くに居さえすれば 真剣に人生に取り組む勇気がでてくるだろうと考えているわけで それで結局いつ本気になるの?といえば やっぱりドラクロワの女神を待っているのが本音で 決して叶わない願いだからこそ 願い続ける意味があったわけだ。 恋を治す薬とは チョコパイを狭い風呂場とか 案外その程度のものだ 人生は振り子のようにゆらゆら揺らぎながら 一瞬一瞬の中で変わっていくんじゃないかな なんてね えへ。 ![]() 自分には無いものを欲求する、 ということに 人生のどれくらいを費やしてきたかと言えば 「そうですね、大部分」 いつもいつも 夢が適うのをじっと待っていた思い出ばかり それが手にはいれば 本当の人生が始まるのだからと 生活をまるまる放り出して 「いつのときも 私は傷つくことが怖かったので」 いったい人生のいつどこで 私はそれほどまで 傷ついた自分をいたわる能力がないと 信じこんでしまったのかは とんと思い出せませぬ 夢を見ている限りは 決して現実の世界で傷つかなかった 現実の世界で傷つけば いつでも夢の世界へ逃げ込めた さてそれで 私が君に呼びかけたくて呼びかけたくて 君の名を呼びたくて仕方ないとして 君の名を読んだ後で それから何を言いますか いくら首をひねって考えてみても 呼びかけたあとで 私が言いたいことは何もない なぜなら きっと君が 言うべきことを全部持ってきてくれるのだと 思っているので 君がそこに居て 私の呼び声に答えたら そのときに初めて 私の想像もつかないような 「本当に真実の人生」みたいなものが 舞台の幕開きのように 厳かに始まってしまうんじゃないかと ええ、もちろん本気で思っていますとも 私が求めるために費やした時間は 人生の中でどれくらいと言われれば 「そうですね、大部分」
例えば何処かの誰かが私の幸福の鍵を持っていて
その人が鍵さえ持ってきてくれれば 私は永遠に完璧な幸せになる、と夢想して 目の前にある現実から自分にとって最良の選択をする っていう勇気を放棄しても それを「恋なんです」 って言えば意外と文化的には正当化されてしまったりして いやでも恋ってのはたぶん 物凄く平凡で日常的な人間関係のことであって ようするに現状の中での一瞬一瞬の選択のうちにあるわけで やっぱ空想ってのは恋ではないと思うよ なんてことを 実はほんのり知ってはいたけど しょうがないからそろそろここらで腰を据えてじっくり考えはみたものの やっぱりそんなことはどっちかっていうと 知りたくないことだったりもするわけで じゃあさ、私の十年とか、一体何なわけなの、何なのよ みたいなことを呟きながら 夜毎酒なんか飲んでみました 河島英五みたい? ![]() ちょいと頭を使うひと仕事が終わって コーヒーを飲みながら なんとなくぼんやりしていると 突然頭上で物騒な物音がする ドシンバシンと 柔道場の床下に住むねずみもかくやという風情 暖かくなって 朝から雨が降りしきっている 一日中屋根の上から氷の落ちる音 からりと晴れた隙に不精な腰を上げて 小さな袋にひまわりの種を入れて 川沿いの遊歩道に出かける かんじきを履いてだいぶ重くなった雪を踏み分けていくと 渓谷沿いに仕掛けた餌台の中の種は もちろん、もう空っぽだ にぎやかにコガラの鳴く声がする 今日は特に軽い声で鳴くものだ まるで春の日の歌のような響き どうして世の中にこんなに綺麗な声の生き物がいるだろう 手のひらに種を乗せて そっと差し出してみるけれど ちょいちょいとのぞきに来ては また歌いながら飛んでいってしまう 餌台にやった餌は食べるけれど 個人的な信頼関係はまるでない どうしてどうして私の片思い 重くなった雪がかんじきにまとわりついて いつもの何倍も足が重いのを 汗をかきながら遊歩道を行く 見上げればオオワシが二羽 立派な羽を羽ばたきもせずに ブーメランのように悠々と空を飛んでいるのが 青空の中にくっきり光っている あんまり綺麗な姿に 「すげえ」 と思わずややはしたない歓声をしてにやっと笑う ふと足元に白く閉ざされた川の上から カラスが一羽飛び立った その飛び立ったところに何か不思議な色の水溜り 汚れた泥色と濁った赤 数日前までエゾシカという名前だった命が 今は他の命のために姿を変えた泥の色 今となってはもう殆ど鹿の姿をしていない 崖の淵まで木の皮を齧りに来て 温んだ陽気で滑りやすくなった雪が崩れたのを 飢えた体で支えきれずに滑落したんだろうか 周りにたくさんの大きな翼の後があるのは あれはきっとカラスではなくワシだろう そう思って空を見ると いつの間にかオジロとオオワシが これまで見たことも無いほどの数で山の上を旋回している 山の上には もっともっと沢山の鹿が 斜面を滑り落ちて命を落としているのかもしれない 悠々として動じないように 群れて空を飛ぶ猛禽の姿は しみじみと怖い 川の上の血だまりの上ではカラスが喧嘩をする 命を入れ替えながら 近づいてくる 春の姿
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